寄付は偽善?

シドニー、ちょっといいことないので少し真面目なことでも書きましょうかね…。

 

先日、寄付をした。

なぜかというと、政府から支援金?をもらったから。

これもなぜかというと、シドニーはただ今絶賛ロックダウン中で、仕事がなくなったりシフトが減ったりする人がかなり多い。

さすがにこれが長引きそうなので、政府はこれを災害(Disaster) と認定し、支援金を払う流れになった。

これは仕事を持っている人が対象で、仕事量の減り具合に合わせて、一週間あたり600ドルまたは300ドルほどの金額を受け取れる。私も対象に入っていたので、申請して300ドルの方をもらえることになった。ちなみに申請は全てオンラインで済み、5日ほどで受理されてお金が銀行口座に振り込まれていた。明日の食料に困る人だっているだろうから、これは助かるだろうね。

私の場合、普段は週5日働いているわけだが、今のところは週3日に減らしている。幸い有給休暇が結構たまっていたので週1日それを取り、残る1日分のロスは政府のおこぼれ(?)をもらうと、ほとんど給料ロスがないんだよね。まあ、もともとのサラリーが低いという事情もあるにせよ。

ともあれ、私は一人暮らしだし、アパートのローンも払い終わっているので、多少の所得が減っても当面の生活は全く困らない。

なのでこのようなお金をもらうと、やはり一抹の罪悪感を感じる。不当所得ではないけど、不労所得じゃない?と思ってしまうわけです。働かずして(まあ正確にいうと「働けない」のだけど)お金をもらうなんて…。この支援金は、そもそもは税金から出ているんだから堂々と貰えばいいんだろうけど…この辺も日本人の考えが出てきてしまうのかな?

ので、寄付をしたわけです。

寄付先もごまんとあるのだが、家のすぐ近くにホームレスシェルターがあり、毎日のようにそこを通り過ぎているので、あ、あそこに寄付しようと。こういうのもすぐにオンラインで出来るので便利だ。

そしたら翌日には担当者から感謝のメールが来ていて、嬉しい気持ちになった。


 

なぜこういうことを書いているかというと、別に自慢してるわけでもないし、「お前らもやれよな~!」と言ってるわけでもない。

こういうお金の使い方もあるよ、という気付きにでもなればいいなあ、と思うんだよね。

というのも、私も若い頃はこんな考え起きなかったもんね。日本はあまりチャリティーという文化、習慣が薄い気がするけど、そこで生まれ育ったからかなあ。

余計な慈善はその人の更生を阻む…みたいな論調もあるし、そういう側面も、おそらくあるでしょう。

でもまあ、私がいまこうしてそれなりの暮らしができているのも、もちろん努力とかしたけどさ、運っていうのも大きいと思うんだよね。

もし自分が発展途上国の、貧しい家庭に生まれてたら今こんな事はできていないだろうし、日本といういわゆる先進国で暮らしていても、なにかのはずみで落ちこぼれてしまう可能性はいくらでもある。

そう考えると、私がなにかで得た余得を少しおすそ分けしてもいいかな、と思うようになった。

そういうのって偽善じゃないの?と問う人もいるだろうね…まあ、そうかもしれない。こんなブログで書いて世間に晒すより、自分の中にしまっておくほうがいいのかも。

もう少し若かったらそういう第三者の目、というのが気になったと思うけど、最近は偽善でもいいじゃん、と開き直るようになってきた。募金、ボランティア、寄付なんて、自己満足でもいいじゃん。こちらがどんな名目であれ、お金は誰かに渡ったという事実は変わらないのだから。
でも、いい加減なチャリティーに寄付するとロクな使い方をされないということもあるので、それなりにリサーチするのは大事だけどね)

金は天下の回りもの、って言うからね…。そして金は死後の世界には持っていけないし。

あ、ズルいことをいい忘れていたけど、こういう公式な寄付は税金の控除になるので、それも寄付するモチベーションになる。しかも最低金額が2ドルだから、とてもハードルが低い。どうせ税金に取られちゃうなら、もっと困っていそうな人に寄付して応援したほうがいいよね、ということです。

ま、その後ランニングシューズ買っちゃったけど…これも経済貢献ってことで!

みなさんは寄付というものについてどう考えていますか?