シドニーに住み始めた頃、とにかく様々なことに驚いたものです。
移動中の電車の中での出来事でした。
人がまばらな車内に隣の車両から行動のおかしな中年男性がやってきました。
アル中なのか、ジャンキーなのか、ふらふらとやってきて、空いている席に腰を下ろし、隣の身なりの良い男性に大きな声で話しかけました。
話しかけられた男性はニコニコしながら適当な返事で応じていましたが、行動のおかしな男性は立ち上がってまたふらふらと隣の車両へと姿を消しました。
その男性が立ち去るや否や、身なりの良い男性はそばにいた中年女性と目配せをし、ニコニコしながら一言二言言葉を交わしましていましたが、英語力が低かった当時の私にはよく理解できませんでした。ただ、なんだか和やかな雰囲気だったことだけはよく覚えています。
東京から来て間もなかった私にとって、その一連の出来事は驚き以外の何ものでもありませんでした。
行動のおかしなアル中男性のおかしな問いかけに、普通に笑顔で応じる紳士、それを笑顔で見守る中年女性。
それは二人の間で「面白い出来事」と楽しい時間に変えられていたのでした。
それまで、東京で見かける挙動不審の人物に対し、私は恐怖を感じていたので、大声で騒ぐ人がいれば自分に被害が及ばないように、隣の車両に移動するなどして逃げたものです。
この一件があってから私の挙動不審の人物への認識が変わりました。
そうか、そんなに怖がる必要はないのか…。
挙動不審の人物は、言っていることは支離滅裂でも、周囲の人に対し攻撃的な態度を取っているわけではないことがほとんどのようです。
誰かを傷つけるよりも、誰かとコミュニケーションを取りたいという意識の人が多いように感じます。
「気のいいジャンキー」
そんな感じのおかしな人物に何度か出くわすことがありましたが、一度も危険な目に遭うことはありませんでした。
どうやらシドニーでは「おかしな人物」を社会の一員、全体の一部として捉えるようです。
東京でマジョリティーから無視される「頭のおかしな人達」に抱く恐怖は、未知なる物への恐怖、目を背けるから起こる恐怖なのかもしれません。
その人達を社会の一部と認め、きちんと見据えれば、そこに見えるのは社会現象の歪みともろさなのでしょう。
皆、誰かに認められたいという欲求を持っているんですよね。