被疑者其ノ一:自動パン焼き機

ところで今回の拙文、前回のとみんごさんの投稿とつながっているなあ、ということに気づいた。どうつながってるかは…まあ読んでください。

 

ある週末の昼下がり、一人暮らしのある男がパンをトースターに放り込んだ。

トーストというものは通常、朝に食べるものであるが、男はちょうどスーパーマーケットでパンを買ってきたばかりで、その香りに負けたのである。

パンを二切れ、トースターのスロットに落とし込み、レバーを押し下げる。

被疑者其ノ一:自動パン焼き機
被疑者其ノ一:自動パン焼き機

 

2分ほどしたら、「トンッ!」という音とともに程よく焼けたトーストが飛び上がり、そこに思うままのバターなりジャムなりを塗りつけ、食べるだけだ。

男は、リビングに戻って音楽を聞き始めた。なんという平和な午後だ。やすらぎの時だ。

♠ ♣

 

しばらくし、男は鼻をひくつかせた。香ばしいトーストの香りの代わりに、焦げた匂いが漂ってきた。そういえば、さきほどからずいぶん時間が経過しているではないか…。

急いでキッチンに戻ると、果たしてトーストが焦げまくっているでなないか。

こういうトースターは、適度な時間が経つと自動的に電源が切れてトーストが上がってくるはずなのだが、何故かそれが作動しなかったようだった。ちっ。

 

男はあわててリセットボタンを押すが、時既に遅し。真っ黒に炭化したパン、いや以前パンだったもの、が出現した。

 

「ああ、これはもったいないことをした。」

男はまずそれにがっかりした。また作り直すのも面倒だし、どうするか。

ふと気づくと、トーストからは壮大な煙が立ち上り、キッチン、いやリビングにまで充満している。

 

…そして、男はリビングの天井にある白く丸い物体のことを思い出した。

 

か・さ・い・ほ・う・ち・き

 

被疑者其ノ二:火災報知器
被疑者其ノ二:火災報知器

 

!@#$$%^&!!!!

 

男の頭の中に、訳のわからない文字が炸裂した。

 

このままでは、まちがいなく火災報知機が鳴る。鳴ると消防車がやってくる。それは間違いなくマズい。焦げたトーストはもちろん不味いが、いやそんなダジャレを言っている場合ではない。どうすべえか。

 

男は手に持っていたトーストを放り投げ、窓という窓を開けた。

 

しかし、男の住んでいる部屋はあいにくながら窓の配置がよろしくなく、風通しが悪い。

さらに男は入口のドアも開けた。部屋の中が丸見えになるが、そんなことにかまってはいられない。

さらにさらに、男はそこらにあった紙袋をうちわ代わりにしてあおぎ、なんとか煙を火災報知器の近くに寄せ付けないようにした。

 

しばらく経ったが、アラームは鳴らない。煙も、幾分かは散ったようだ。

 

「これはなんとか逃れられたか…」

 

と思った瞬間、

 

あの耳を圧するアラームが全アパートに鳴り渡り、男は床にへたり込んだ。こらあかん。

 

こうなると、住民はお手上げだ。誰もアラームをリセットすることはできない。消防車で駆けつけた消防士だけがそれを可能にする。

 

男は意気消沈しつつも、アパートの玄関外に「避難」した。

 

わらわらと他の住民も外に出てくる。このアパートはどういうわけか火災報知器が鳴りやすい。男の記憶によれば、平均して3か月に1回は鳴っているようだ。

そのせいか、住民は火災ではないと知っているのか知らずかで、切迫感は感じられす、のんびりした顔つきだ。

 

「誰か、トースト焦がしたみたいね」という声がちらほら。

男の額から冷や汗が伝った。

ここでしらばくれてもいずれ「下手人」はバレてしまう。ここは素直に白状し、謝るというか、お茶を濁したほうが得策だ、という結論に男はいたり、

 

「あ、それ俺の部屋っす」と手を上げた。

 

さいわいにして、顔見知りの住民は、「まあ、誰でも一回はやることだからね~」と笑ってくれた。

もちろん、「ったく、仕事/読書/ネットフリックス/料理…の邪魔をして…コノヤロ」と思った住民もいただろうが、そんな奴らは無視。無視に限る。

 

男は恥辱を耐え忍びつつも、寒いのに冷や汗をかきながら消防車の到着を待ちわびた。早く来てこの気まずい時間から解放させてくれ。

 

消防署は男が住んでいるアパートのすぐ近くにあるのが救いだった。5分もしないうちに、焦げたトーストには似合わない大げさなサイレンを鳴らし、消防車がやってきた。アパートの前で停止し、黄色い消防服を着た隊員がわらわらとおりたち、火災報知盤に向かう。

 

 

そして隊長とおぼしき人が、

 

「あ~、XX号室の住民は?」

 

と呼ばわった。

 

しくじった。彼らが降り立った時に即座アプローチして、ひっそりと、かつコソコソと事態の解決を図るのだった。男はここでも、大勢の住民の前で「あ、オレです」と手を挙げるという醜態を晒し、消防隊員の後をすごすごとついて行き、自室に向かった。

もちろん実際の火事ではないので消防士は特にやることもなく、

「換気をしっかりしてから窓を閉めるように」

と男に通達し、ものの2、3分でアパートを後にした。そして住民はそれぞれの部屋に戻り、アパートには平穏が戻った。

 

…まだ焦げ臭い匂いと煙が漂う男の部屋を除いては。

 

ともあれ、実害は炭化したトースト2枚のみ。何もなくてよかったといえよう。

 

しかし、まだ残された問題がある。

 

金だ。

 

消防車が来ると、罰金…というか、呼び出し料を払わなければならないことになっているはずだ。

 

もちろん、払うのは火災報知器を鳴らした愚か者、つまり男である。

 

ただでさえコロナ禍で収入減になっているのにこの臨時支出は痛手だ。もしかしてアパートが保険に入っていて免除…などということはないのだろうか?男の頭は混乱した。

 

管理組合に聞いてみても良かったのだが、それも恥の上塗りである。

結局「なるようになるさ」という諦めの境地に男は達した。

 

翌日、住民の一人に玄関で会った。

 

「もう大丈夫?」とニヤリと笑いながら聞いてきたので、男は

 

「いやまあ…」とお茶を濁す。

 

彼は更ににニヤリと笑いこう言った。

 

「あ、罰金のことだけど、さっきそこで消防署の人にあったんで聞いてみたけど、払わなくてもいいってさ。よかったね!」

焦げたトーストは我を見捨てなかった。

教訓:キッチンでの火の扱いには万全の注意が必要である。

教訓その2:キッチンで調理をする際には極力持ち場を離れるべきではない。

 

それにしても、なぜあの時トーストは上がってこなかったんだろう?

 

(注:気になって実際のレギュレーションはどうなっているかを、この州の消防局のサイトで調べたところ、いいかのような規定だった。簡単に言うと、60日以内であれば1回火災報知器を鳴らしてしまっても罰金の対象にはならないそうだ。ちなみに罰金は、1600ドル!!)

There are additional circumstances (leniencies) resulting in no charge, including:

One false alarm within a 60 day period will not be charged. Subsequent false alarms which occur within 60 days of the first alarm will be charged, and

A 24 hour leniency period applies in which repeat false alarms will not be charged. Only the first alarm will be charged within the 24 hours. Multiple false alarms within a 24 hour period are considered a one off event giving the business owner or manager time to rectify their alarm system.

Only one of the above leniencies will be applied in any given 24 hour period.