アンザック・デー雑感

こんにちは、とうとう締め切りを破ってしまったひで蔵です。

 

…でもまあ、世界のどこかはまだ土曜日なので、今日中に投稿すればいいか!

 

都合の良いことに、本日4月25日は、オーストラリアは祝日。

ANZAC Dayという、かなり大事な記念日です。投稿日がずれたのもなにかの縁でしょうから(こじつけ)、この日について書いてみます。

まず下の写真は、アンザックデー前日の夜(4月24日ですね)の、アンザック記念館(Anzac Memorial)。日本語では慰霊館とでもいうのかな。ちょっとした史料館にもなっています。

夜勤に行く時に通りかかったんだけど、いつもより明るく建物がライトアップされ、サーチライトが空に向かって照射されていた。おお!

そもそもAnzac(アンザック)というのは、Australia New Zealand Army Corpの頭文字をとったもので、オーストラリアとニュージーランドの軍隊のこと…でいいのかな?

なのでアンザックデーは、過去から現在に至るまでの戦争で命を落とした人を悼み、また国防に携わった人に感謝の意を表する日…という解釈であっていると思う。

なぜ4月25日かというと、第1次世界大戦でオーストラリア軍が参戦した、ガリポリの戦いという大きな戦いの日を祈念しているからです。これは、オーストラリアとしてはほぼ最初の本格的な海外戦争でした(なんといっても建国が1901年の新しい国ですから)。

興味深いのは、この戦いはオーストラリア軍としては散々の負け戦で、結局作戦は失敗して撤退しているんですよね。

なので、アンザックデーはいつも暗いトーンがつきまとっているような気がします。

もちろん、オーストラリアはその後も第一次、第二次世界大戦はそうだし、その後も朝鮮戦争、ベトナム戦争と行った戦争に参戦しているし、その後もイラクやアフガニスタンに派兵しているので、従軍した兵士というのはかなりの数になる。

さて、4月25日当日ですが、まず早朝、だいたい4時半頃に街の中心地にてDawn Serviceというセレモニーが行われます。もちろんあたりは真っ暗で、秋のシドニーですから結構寒い。何故かこの日に限って天気が悪かったりするのだけど、今年は晴れていました。

その後、シドニーのような大きな街ではミリタリーパレードがあります。以前はそれこそ第1次世界大戦、第2次世界大戦に従軍した元兵士が参加していたのですが、多分もう第1次大戦の兵士は亡くなっているし、第2次大戦だってどんどん高齢化してきているので、これからは参加者もだんだん減ってくるのかな…子孫が行進しているケースもあるようですね。

そのパレードが終わると公式な行事はおしまいで、その後皆どこに行くかというと…

パブです、もちろん。

現役の兵隊も制服を着てパブに行き(もしかしたら普段は行けないのかな?)、退役した人たちは勲章などを着けてにぎやかに飲んでます。

僕はあまりそういったナショナリスティックやミリタリスティックといった雰囲気、好きではないのですが、それでも自分を犠牲にして命を落とした人には敬意を払いたいと思います。

それから、以前は第2次大戦を体験した軍人も多かったんで、アンザックデーの日は日本人と分かると罵声を受けた…なんてこともあったようですね。まあ元交戦国ですから、わだかまりがあったのも仕方ない。もう時代も変わったので僕はそのような経験をしたことはないし、そもそもシドニーはアジア人がうじゃうじゃいるから誰が日本人かなんてのも分からないですしね。

これからは現役世代もだんだん減っていくし、なにせ移民が多い国なので、アンザックデーも多くの人にとってはただの祝日、ということになっていくのかもしれませんが、それでもオーストラリアという国にとっては大事な日ということは変わらないでしょう。

最後に、この日はよく

Lest We Forget

という言葉を目にします。Lest という言葉、あまり馴染みがないし、日本人のLとR問題で、Rest(休む)かなあ~、なんて思ってしまいますがそんなことはなく、「~しないようにする」という意味なので、

「わたしたちは忘れない」

とでもなります。格調高い言葉ですね。人類の永遠の課題である「戦争と平和」ということについて考えてみる日になれば、と思います。