日本語と英語の狭間にて

おはようございます、ひで蔵です。

うっわ、また何も準備せずに土曜を迎えてしまった…。

なんせ今週は、クリスマスパーティーというか、忘年会というかのピークで、今日は仕事のメンツ、明日はラン友、あさってはSNSのオフ会…という感じで出歩いていたので、そら時間ないわ。

 

なのでまた今回もフリーハンドで書いてます(学習能力ないなあ)。

さて、前回は無茶して英語で文章を書いてみた。

いつもこのブログを書くとフェイスブックに、「書いたから読んでね~」と投稿をするのだが、そうすると英語圏の友だちが、

「なんか日本語で書いてるけど、英語では読めるのか?」とか、

「いつ英語で書くんだよ?」なんてことをコメントする。

 

…いやいや、そんな大したこと書いてないし、スルーしてくれてもいいんだけど…とは思うのだが、ナントカもおだてりゃ木に登る、というように、

 

「じゃあ英語で書いてみよっか?勉強にもなるしなあ~」

という魔が差し、世の中に晒してしまったわけだ。

 

まあそれはよい。温かい言葉をかけてくれた友だちもいたし、「あ~あ、間違いだらけでしょーがねーなー」と思った人もいたと思うが、当人の耳には届いていない。

 

それにしても、この題にもあるように英語と日本語の狭間で生きていくのはそれなりに大変だなあ、と思う。

 

まず、互換性がまったくないからね。

字も、文法も、語順も違う。その中で一番難しいなあ、と思うのは語順。

ざっと簡単に言ってしまうと、英語は重要なことを最初に言うが、日本語は最後まで取っておく傾向がある。なので日本語で頭に浮かんだ文章をそのまま英語に変換するとヘンな文章になるので、文章を再構築しないといけないわけですね。たぶんヨーロッパ語だとこういった手間が少ないからすぐに適応できるのかな。

あとは話し方だって違うじゃないですか。日本語のノリでフラットに英語を話しても通じないよね。ちょっとオーバーだなあ、と思うくらいにメリハリ付けてしっかりと話さないといけない。

でもそれを続けていると、性格まで変わっていきそうな気がする。その民族の性格と言語って、関連があるのではないだろうか。

それにしても日本語って面白いよなあ…特に最近感じているのは、人称問題。

実は自分のことをなんと呼ぶか、ということにすっかり迷っております。

上の文の「自分」というところに、「私」「僕」「俺」と入れられるし、まあ「自分」でもいいわけで。

「私」だけをとっても、書く際に「私」「わたし」「ワタシ」「わたくし」「ワタクシ」では印象がかなり変わるしね。

個人的なことをいえば、中年シングルという年齢層にいるせいか、最近迷っているんですよ、これが。

私、っていうほど落ち着いてないし、社会的地位や貫禄もないし。

僕、もちょっと若作りっぽいというか村上春樹の主人公みたいで、

「僕は、真夏の海に浮かべた浮き袋をたたむ時のようなため息をついて、とりあえずビールを飲んだ。

やれやれ。」

とか言いそうだし。

「俺」っていうほどハードボイルドなフィリップ・マーロウのようにカッコよく、

「おれはパイプに火をつけ、煙に目を細めながら依頼人に目をやった。『ギムレットにはまだ早すぎる』」

なんて言えないし。

あ、脱線してしまったが、なんと名乗ればいいのだろう?と悩んでおります。誰か助けて!

 

それからSNSなんかやってると、私のように英語圏で働く日本人は、英語で投稿すべきか、日本語で投稿すべきかでいつも迷う。

そのつど両方で投稿したり、もっといえば日本語と英語で別アカウントを作るという手もあるが、どちらにしても手間がかかる。

 

…などなど、もちろん日本語の素晴らしさについては一歩も譲りたくはないが、なんとも因果な言葉を母国語として生まれてきてしまったなあ、と感じるのであります。

 

さて、次回はどちらの言葉で書きましょうかね?