人生は回転扉

こんにちは、だんだん夏らしくなってきたシドニーから、ひで蔵です。

う、締切間近でネタ切れ…。

なので、こないだのはりぃ氏の文を読んで思ったことを書くか…(これが共同ブログの利点だなあ)。

彼は仕事をやめた時、「解放感しかない」と言っていたが、ああそうだなあ。その気持、オレも感じたなあ。

さて、オレは何回仕事を変えたんだっけ?短期のバイトを除いてだと、最初に長く仕事をしたのは、新幹線の車販員だった。

ええ、そんな仕事をやってたんですわ、大学時代のバイトで。3年くらい勤めたので、わりあいベテランになっていた。その時のドタバタばなしは別のサイトで書いている。

このバイトは、卒業後の就職があったので円満退職というか日本では当然の流れ。最後の日は車販員ではなく、事務所での夜勤だった。次々に来る車販員の点呼を取るのも仕事の一部だったので、たくさんの同僚に「今日で最後だから~」と告げることができたし、終電が着いた後は、勝手に在庫の酒をかっくらって打ち上げパーティーをした。あれは楽しかったなあ。

 

ガッコ卒業した後は横浜のホテルで3年ほど働いたが、海外留学することを決めたので退職。どう上司に説明したのか、相手の反応がどうだったのかは忘れてしまったけど、

「もっといいホテルマンになるために英語を勉強したいです!」

という目的がちゃんとあったので、ホテル側もそりゃイヤな顔はできないよね。そもそもホテル業界は人の出入りが一般的なニッポン企業より激しく、オレの同期もすでに何人か退職していたのでそれほどプレッシャーを感じなかったのかも。

 

それでこちらへ来て、これまで4軒のホテルで勤務している。ということは当然ながら4回退職をしているわけだ。

ホテルを変わった理由は、どれもキャリアアップのために次の就職先を決めた上での退社だった。そのためどれも時間を置かずに次の仕事に入れたし、

「よし、新天地で頑張るぞ!」というポジティブな気持ちで退社することができた。

 

オーストラリアの場合、転職をしながらキャリアアップを図るというのは至極アタリマエのことなので、たとえ同業他社に行ったからといって意地悪されるようなこともなく、みな暖かく送り出してくれたなあ。

まあこれも業界や業種によってはそう単純ではないケースもあるようで、守秘義務があったり顧客情報を持っているような人だと、予定退職日の前にいきなり「はい、机片付けてさっさと会社出て!」なんて言われることもあるらしい…。

ま、オレはそんな大層なポジションにはいないので、だいたい「いなくなって残念だけど、次の会社でがんばれよ!」とかなんとか、まあお世辞半分かもしれないけど言ってくれて、最後のシフトの後は近くのパブでFarewell Drinksといった飲み会をやって打ち上げることが多かった。

 

…ただ最後のホテルを終えたケースは、人生初のリストラだったのでかなりこたえた。やはり、自分の意志で退職するのと、会社から辞めさせられるのとでは全く違う感情がでる。これは仕事でなくても人間関係でも一緒か…。

でも、これもリストラされた理由がCovid-19でホテル業がガタガタになったから、という理由が明白だったので、オレのパフォーマンスが悪かったとかいった理由ではないし、あの時はもう何ヶ月も給料の一部をもらって自宅待機、という宙ぶらりんかつ不安な月日を送っていたので、白黒ついてさっぱりしたわ!という気持ちが起きたのも確かである。

 

最後に、そんな経験をした後に行った会食で素敵な言葉を教えてもらったので引用します。

 

「一つの幸せのドアが閉じる時、もう一つのドアが開く。しかし、よく私達は閉じたドアばかりに目を奪われ、開いたドアに気づかない。」

 

ヘレン・ケラーの言葉だそうです。ホントにそのとおりだなあ、いや、そう思うべきだなあ、と思いました。