私が野生のカモノハシを見ることができたのは、あの子がいたおかげだと思う。
4年ほど前になるだろうか。
某日系大手旅行会社のガイドブックの作成でケアンズへ取材に行った際のことだった。
オーストラリアの様々な野生動物に触れ合う「どきどきツアーズ」のツアーに参加した。
胃薬としてアボリジニが食べるというアリを口にしたり、野生のワラビーへ餌付けをしたり、ケアンズのトロピカルフルーツなどを味わった後、このツアーのハイライト、野生のカモノハシ探しへ…。
とは言っても、カモノハシは動物園でさえも見られないことが多々あるほど繊細な生き物。
野生ともなればその確立はかなり低くなるので、希望は持ちつつも、期待する気持ちを抑え、決して美しいとは言えない粘土質の底のせいか濁った水の川沿いを歩いていた。
ツアーガイドからカモノハシはとにかく繊細なので、私語を慎み静かに、見つけたとしても決して大声をあげないようにと注意を受けていたから、同行したモデルの友人とも時折交わすひそひそ話し以外には言葉を交わすこともなく、ただただ無言で歩みを進めていた。
その日のツアー参加者は15名ほどだっただろうか。
皆がその状況を理解し、他の参加者へ迷惑をかけないようにと無言で歩く様は他のツアーにはない不思議な緊張感が漂っていた。
そんな中、「きゃー」のような、「あー」のような、奇声とも言える大声が時折後方から聞こえる。
その場にふさわしくない大声に、一同が動揺し、「やばい」そんな言葉にならない空気が漂う。
友人と目配せをし、「仕方ないね」と半ば諦めた苦笑いを浮かべつつ更に歩みを進めた。
そしてまたもや後方から奇声。
ああ、今日はカモノハシは見られないかもな…。
そのツアーには少し障害があると見られる少年が参加していた。
少年が奇声を発する度に本当に申し訳なさそうに少年をなだめる親御さんの姿があった。
皆より少し離れて後方から歩いてくるその姿に、参加者全員ががっかりしながらも、どうせカモノハシは見られないことも多いのだから…と自分自身に言い聞かせていたに違いない。
ほどなく行くと、ツアーガイドの歩みが遅くなり止まり、皆に合図をする。
息をひそめるように静まり返った私たちにツアーガイドが指で指し示した先を見つめた。
水面にポツポツ…と小さな気泡が見えたかと思うと、あの、世にも奇妙な生き物、カモノハシが姿を現した!
想像よりもはるかに小さいその姿。
それはまぎれもなく噂に聞いたカモノハシ。
興奮しながらも囁くように互いに声をかけ、思い思いに携帯やカメラを向けたりする中、その興奮が隠せないといった様子であの少年が奇声を発する。
逃げてしまうかも、そんな思いを胸に抱きつつ、「でもまあ、見れたからいいか。」と心に余裕ができた私たちはその少年の奇声を微笑ましくやり過ごした。
けれども驚いたことにそのカモノハシは少年の掛け声を意に介する様子もなく、しばらくの間私たちの目前で心地よく水面をスイスイと泳いだり、もぐったりを繰り返し、そしてどこかへ消えていった。
一時はひやひやしたけれど…。
でもね、あの子が呼んでくれたような気がするんだ。
大きな声に驚いてカモノハシは姿を現さないかも、そう思ったのは間違いで、あの子が語りかけてくれたんじゃないかと思っている。
元来た道を戻りながら友人に思ったことを話すと、実は彼女もそう思ったのだという。
きっと、あの時全員が同じように思ったのだろうということに気付いた。
それに気付かなかったのは少年の親御さんだけ。
終始申し訳なさそうにしていた彼らをなんだか気の毒に思った。
私たちはおかげで皆とてもハッピーだったのに…。
あの子がいてくれたお陰でカモノハシに会えて本当に良かったね。
それに続くバーベキューディナーは、初対面同士の私たちの間がなんだか急に近づいたような暖かい雰囲気になっていた。